声の揺れ、意味の響き。

僕の生活や思いをwhatwhywherewhohowの4w1hを意識しながら文字と絵で綴ります。

後悔の中の青春

僕は後悔しています。

引きこもりであったことを。このことは何度言っても気持ちが変わらないでしょう。

そしてこれを思うたびに引き起こされる気持ちは後悔でしょう。

僕は後悔の中で多くの人を憎んだり許したりしました。

そして自分自身もそのうちの一人でした。

僕は10代後半の青春時代のほとんどを自分の部屋の中で過ごしていますので、こうした後悔の中に近頃、自分にもこんな青春があったんじゃないか、と思うような人生の岐路を見つけることがあります。

そうして心に思い描く現実よりも少し明るい過去のifは、僕の青春そのもののように思われ、とても切ない気持ちを伴って描かれます。

そうした思いを感じるたびに、人生の瞬間瞬間の貴重さや、自分の愚かさを感じて、後悔の中で人生を学び直しているようにも思えます。

そのことで昔は随分と悩み苦しんでいたようにも思いますが、近頃は過去を思い返すことでも、人生はさらに豊かになるのではないかと思えるようになりました。

こうした気持ちの変化をここに記せることを嬉しく思います。

以上。

生活保護受給寸前の発達障害者の心理とは。

前置き

 

生活保護受給寸前の発達障害者、これが最も悲観的な立場から見た僕の現状だ。

 

発達障害そのものは生活保護受給できる要件とか、認められやすいことになっているなんてことはなくて、そこは行政の判断に委ねられている。

生活保護受給寸前は自分がそうせざるを得ないという事が頭に浮かんでしまうというだけ、つまり自分お頭の中での話)

 

発達障害であることは両親と自分の見解でお医者さんには自分の考えでで行っていなかった。だがしかしごまかしのきかないところまできており記事にしたくなった)

 

症状の説明

僕の場合は、気持ちや思考の注意がめちゃくちゃにあちこちに気が散りまくってしまうので一貫性がなく、しかも衝動的なので、半ば自分でも何やってるんだろう俺・・・と思いながらもある行動を2時間とかくらいのスパンで持続的にしてしまったりするし、つまり頭の中で計画を立ててもそれを破壊する衝動性のお陰で自分をうまくコントロールできないので、矛盾に満ちて精神を病む。

※抽象的な形で書いてしまうとキリがない上にわかりにくい。間近の日々での具体例を挙げていく。

 

説明2 具体的には

今日であれば、これは僕のねじれた精神状態(つまりは窮状)を訴えるものでもあるけど、おそらく言い訳に見えるだろう。

今日僕はとにかく話の前提として、やらなければならない事があった。しかしそのことが頭をかすめながらも僕のぼんやりとした意識の中で、たまたま近くのカラオケ屋のそばまできていて、帰らなければならない事を忘れて(頭の中がカラオケに行って歌うイメージで満たされてしまって?)カラオケに行ってしまった。

2時間30分くらいで疲れていたが、途中自分が疲れているのかどうかよくわからなくなりながらも、カラオケルームから出るのがなんとなく怖いと思い(逃避?)声が出ないにもかかわらず4回ほど30分の延長をして歌った。

 

上にあげた気が散ることについては、やらなければならないことがあるのにそれを忘れてカラオケに行ってしまう店

衝動性に関しても同じ。カラオケが歌いたくてしょうがないところもあったんだと何と無く思う。(逃避?)

矛盾に満ちて精神を病む点は、歌っている途中に「なんで歌っているんだろう?」と思ったりすること(何と無く逃避でしかないことにぼんやり自覚があるけど衝動を制御できないせいでなぜかこんな気持ちになる)

 

だいたいこういう感じの事をなんであれ繰り返す、こうした計画性と衝動性の衝突とそれによって精神衛生が悪化すること以外に、(そもそもこのこと自体もそうだと言えるが)しなければいけないことの先延ばし、時間(週、月単位のスケジュールを含む)管理ができない。などの問題がある。

時間や自己管理的なことで一番まずくて今回生活保護を受ける選択肢が浮かんでしまうほど自分を追い込むことになっているのが、遅刻癖だ。

これに関しては正直小学生の頃からほぼ毎日の遅刻をする常習犯だったので、半分親が全く言い聞かせなかった事もだいぶでかいとは思っている。

(ここでなぜかはややこしくなるので詳しく書かないが放任主義というやつ)

ところでなんでこの遅刻癖がそんなに政治に済の一人の人間を追い込むかというと、

「最終定期に、主に強烈な罪悪感で自分自身が居づらくなり自らやめてしまう選択肢を取らざるを得なくなるからだ。(精神がパンクし体が動かない)」

 

以外とこういう一見ささいでしかし重要な問題が、自分の悪いところを何であれ改善しようと気負えば気負うほど、自分を追い込む要素となる。

 

本当に改善しようとしているのか?遅刻って・・・そんなん本気で直そうと思えば直せるだろ・・・???

 

はい、そのことについてなのですが、ここからは実際なんでそんなことで居づらくなるまでミスを犯し続けてしまうのかという事を喋ろうとすると、内容はほぼほぼ100%精神面での話になって行きます。

言ったら、スタート時点で遅刻することが当たり前の状態なので、「普通の人の当たり前の自己管理」が「普通の人がムキムキのビルダーになるほど大変な自己改革」くらいに思えてきます。

当然メンタルの問題が根にあるわけです。情熱・やる気・本気かどうかなどの・・・。

 

ここでADHD,抑うつ、そういうことが顔を出してくるわけなんです。

僕の場合ここらへんの事と直面しようとすると心が余計に参っちゃうんでしょうね・・・。(他人事みたいな言い方ですみません)

普通の人の為に言い換えれば、十分な筋力がつく前に相当な重量の器具でトレーニングする時にかかるような「負荷」になってしまうということなんです。

 

このことは深くはあまり言えません、これまでの人生やパーソナリティの問題と不可分なのでややこしくなるでしょうから。

 

ただ、じゃあこういう人間がどうやって今まで生きてきたかという事や、ストレスを以上に溜め込みやすい性質上どうやって発散しているかというと、それは一つの具体例で言えば僕の場合、先ほど単なる衝動で行っただけという言い方をしていたカラオケで発散できます。

これについては、少し無駄かもしれませんが普通の人みたいにワイワイ騒いでエネルギーを外に発散するというのとは少し違うように思います、(そういう発散の場合ぼくはランニングになります)というのは僕はそういう性質の人なので、集団の中で孤立しやすく、ゆえに常に孤独で、むごいくらいの寂しさを抱えています。

しかし歌を歌い続けているとふとある瞬間にピタっと心に寄り添ってくれる瞬間を感じることがたまにあり、それが一瞬孤独を和らげるような安心感を生み出しストレスが緩和されていると感じられます。

一回のカラオケで3時間いるとしても、ぶっ続けで歌い続けて一瞬あるかないかの稀な感覚なので、実際にはストレス発散というほどスッキリするほどではなく、少々逆にもどかしさがあるにはあるのですが(もっとこの瞬間が続けばいいのになと思うからです)・・・。

一生涯の中でたまり続けた孤独がその一瞬ごとに無くなっていくことが難しいのは当然ですね・・・。

なんだか一人カラオケの話の比重が多くなってしまっていますがつまりそこに救いを求めての行動という側面があるのだということです。

衝動性は暴力的なものなどはなく、どちらかというと解放されたいという気持ちが根底にあるようです。(確信はないですが・・・)

 

ということで、遅刻が治せないことですら追い込まれてしまうADHD人間の話でした。

キーワードとしては、

孤立、抑圧、計画性(思考)と衝動性(行動)の対立(矛盾)からくる自己否定的な感情や混乱、これらを説明するものとしてADHDという見方でこの窮状を説明してみるということです。

ぼんやりとした意識という主観的な認識や、自分と向き合おうとする難しさを普通の人に伝えるための「負荷」の比喩的な説明などの部分を工夫して伝えました。

 

最近の自分を将来の自分に伝えてみる記事。

最近の自分を将来の自分に伝えてみる記事。

 

英語だけはせめて勉強を続けようと思ってるみたいです。

彼なりに学校に行くことや将来の仕事のことも真剣に考えた上で最低限これだけは得意にしようということみたいですよ。

海外で働くことを将来の選択肢に加えたいようですがそのためには大卒資格や公務員として働く経験があると信用されやすいんじゃないかと考えてるみたいですね。

相当計画を練りに練っているようです(まだまだ詰めが甘いけど)

 

最近は自身の遅刻癖と、ネット中毒がなかなか治らないことに参っているようです。

自分自身を分裂させてしまう、物騒な言い方になりましたけど、ようは矛盾を抱え込んでしまうことになるので非常に参っているようです。改善を望んでいますがなかなか独力では難しいようです。

プライベートでは苦楽を分かち合える親友がいないことが彼をとても不安にさせており、人生を楽しめていないんじゃないかという思いを抱かせているようです。

こうしたことが主に彼が抱えている社会的、私的な悩みの種です。

 

一方で恋人と同棲が半年以上続いているようで、彼女が精神安定剤の役割を果たしているようです。彼女のあっけらかんとした明るさにとても救われています。

 

最近、実は自分は働くことが好きなのではないかと思い始めているようです、いままでのレイジーなイメージの自分とは真逆のイメージを持ち始めて、嬉しい驚きではないでしょうか。

 

物を考え詰めて自分を追い込む癖はだいぶマシになってきて、精神的にやられる前にフットワーク軽く活発に活動してうまくエネルギーを体の外に逃がすことを覚え始めています。経済的、精神的な自立がより確固たるものに近づいてきているのでしょう。

 

近頃英語のリスニングの習慣が身についたのですが、一昔前と比べると英語のラジオで拾える単語や文章が増えており、進歩を実感しているようです。

 

最後に、先月に会社を辞めてからさらに将来に向けて情報集めなどをしながら将来を計画的に考えるようになってきたようです。

 

以上、なにとは言わないけれど近頃の僕はこんな感じです。

読書で得るものさし

今日昨日とバイト終わりに本屋で立ち読みしてから帰宅している。

今日もそのことを書こうと思う。

80ページ程度立ち読みした(今日一番読んだ)本のタイトルが確か

死ぬほど読書というタイトルで、表紙のしゃしんのよぼよぼのおじいちゃんがどうやら作者らしい。

内容はただのおじいちゃんの長話だ。

角がない、激しさがない、ハリがないというかつかみどころがないというか、そして偏らない、そんな感じ。

ディスってるような書き方をしてしまったけどそんなに悪い読み心地ではなかった。

それに賢い人の本を読むときの共通する楽しみとして、偉人やその人の働きや思想をかいつまんだ形で引用してくるとき、話に出すときに、自分の中の雑多な情報をひと束に結んでくれる紐のような巧みな要約の仕方の言葉を使ってくれることだ。

様々な歴史や思想の観点から物事を捉える様子や、それを説明するための言葉がとても勉強になる。

今日は、ぜひブログの記事にして残しておこうと思った言葉があった。

それは、1997年に既に亡くなった外国のある学者の言葉で、

今から3年間で蓄えられる知識の量は、これまでの30万年で蓄積されて生きた情報の3倍以上になる。という言葉だ。

その言葉の明確な人類の情報蓄積、情報収集・記録などの能力の発達の線引きの仕方、それを示す言葉のシンプルさとインパクトの強さ。

細かくは挙げないけどいろんなことを考えるとき思考をくっきりさせてくれるものさしのような言葉になるんじゃないかと思った。

まあ他にもそうしたストックしておきたい言葉はあったけど、あ、そうそう、富士そばプロパガンダ本みたいなの新書があったけど今思い出すとめっちゃ面白いな笑

本屋で立ち読みしたよ。っていう。

今日は本屋でだいぶ立ち読みをしたなあ。

お笑いピースのボケ及び芥川賞作家の又吉直樹が今月表紙の雑誌を見つけて、インタビューを読んだけど、先ずインタビュー前の巻頭の写真の又吉めちゃくちゃかっこよかったなあ。

あ、俺なあ。なぁ。って言って山下清みてえだなあ。

まあどうだっていんだよそれは。

又吉格好良かったよ、うん。

小説も2作目の・・・「劇場」は読んだよ。

あんなにお笑い的な意味で面白い文章はなかなかないと思った。

芸人さんだからだろうけど、それが新鮮だった。

あれはあれですごくいいね。

あ、そういえば前の同僚が火花も貸してくれて、読んだんだっけ??

今読んだの思い出したわ。

インタビューの話に戻ると、やっぱ小学生の頃からネタを書いていて、フィジカルも強かったみたいで、その頃から高い資質を持っていることがうかがえるよね、本人の口からも、(って言ってもインタビューだけど)小学校からなぜ生きてるのかとかそういう哲学的なことを考えていたような発言があるよね、文学性がある人だよね。

初めから自然に備わっていたようにして。

そこが大事なような気がする。自分はオリジナルなんだっていう意識があるんじゃないかなという気がしてきた。

隣に置いてあったカズオイシグロの特徴なんかを文学者二人が語る内容の雑誌のあれも読んだけどなんかとても日本にルーツを持っている人が(イギリス人だけど)英語で小説を書いて向こうで大物作家になっているのにはすごく興味が惹かれた。

俺としては哲学とか芸術なんかの面ですごく白人文化に惹かれているし、今の時代は彼らが人類を科学的にも、政治的・経済的にも引っ張っている時代だから、憧れみたいなものももしかしたらあるのかな。

まあそれは十代の中頃からだけど。

あとは話になんの脈絡もなくてただ一緒に読んだだけの本だけどすごく直感的にだいじな事が書いてある気がしたのが、「自然災害と向き合う日本人」みたいななんかの本のある章だった。

とても興味深かった。

日本人の戦いとか、いざというときの協力関係の結び方がわかるんじゃないかと、なんかそんな気がした。

とまあ、ブログというよりただの日記なわけだけど・・・。

本当に立ち読みなんて少し恥ずかしかったな。

働くことって楽しい?

なんとなく働くのって楽しいかも。

うまくこう思えるくらいには気分が切り替えられて良かった。

先日友人にあったときに「もうバイトはじめたんだ、(この前仕事辞めたばかりなのにもう動き始めるなんて)早いね。」

と言われたけど、2週間くらいはかなりボーッとしてたと思うし、

生活の質を上げたいと思ってる割には、ここからどうステップアップしていけば良いかはよくわかっていない。

普段の行いを正して何かあったときに手を貸してもらえるような人間になろうと思う。

 

 

足が疲れたけど一眼売れてよかった。

家電量販店でのバイト2日目にして担当の一眼レフカメラが売れた!

ほっとするわ〜。

でも基本知識が足りないなという気持ちの方があるかな。

たちっぱだからあしがつかれるわ〜〜。