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声の揺れ、意味の響き。

僕の生活や思いをwhatwhywherewhohowの4w1hを意識しながら文字と絵で綴ります。

なんのための夜間大学? 両立できる職場環境は何処にある?

僕は今管理事務をやっている。

正社員だ。つまり、フルタイムで働いている。

けど、大学に行きたい。

なぜなら、中学時代から不登校で、高認はとっているものの、

最終学歴は中卒だし、中途半端な知識しかないから、じっくり腰を据えて勉強したいし、そのための環境として大学を利用したいのだ。

 

現実には、僕の目指す理系の夜間は、サイトで色々調べたが、社会人学生はいても

わずかに1割くらいだったりするらしい。

今度覗いてこようかな、キャンパス。それが一番実態がつかめる方法だろう。

・・・最近は夜間といっても、ほとんど昼間部の受験に落ちた子が通っているらしく、(夜間部は)設立当初の意義を果たせずに、少子化の影響で閉鎖され数は徐々に減っていく一方であるらしい。

 

ところで夜間大学でも、授業は早くて1630から始まる。だが、普通自活してる社会人が通える時間帯か?どうかんがえてもそうじゃあないだろ。。。

まあいい、土曜開講というスタイルをとっているところは多い。

平日は1800から(2130まで)授業に出て、出れなかった分土曜日に取り戻せばいいということらしい。

 

じゃ、いけるじゃん!!・・・いやいやいや!4年アルバイトで生活し続けるしか行く方法はないのか?俺が18ならそれでもいいけど、、、もう21歳。。。

飲食なら月から金と日曜の朝から昼まで5.6時間働きながら国立行けばとりあえず授業には出れるかもしれないよ、生活費もちょっとは奨学金借りるなりすれば、いざという時のお金も確保できるかもしれない。

けど、夜間大学ってそうか?大学で勉強しなおしたいなら、勉強時間作る努力はそりゃ必要だろうよ、けどさ、夜間大学通いたいなら、いけるけど代わりに4年間フリーターとして働きづくめでなきゃいけないとでもいうのか?

いくら通えるったって、スケジュール通りに動くのだけで精一杯で、いつもかつかつな生活して、疲れて、その中で本当に深く何かを学ぶことってできるの???

それって相当難しいよね?いや、わかるよ、親が全力サポートとか、どこいっても適応していける人はさ、けど、俺はそうじゃないし・・・。

 

。。。なあ、夜間大学って、もうちょっと、どっかの企業と連携して就業時間工夫してさ、せめて、学域に関連する職場を紹介することで本来の意義を果たせるようにする努力はあるの・・・?

 

3、4浪の年齢の飲食とか、学域と関係ないところに日々時間を費やす働きづめの夜間大学生作るための学部なの?

 

・・・ってさぁ・・・、

夜間大学通いながら、プログラマーとかやれないかな(フレックスで朝から0600〜1500勤務で1630の授業からでる)ってカッコつけた考え(ていうか唯の願望)

を生み出してるこの往生際の悪い脳みそをぶん殴りたいよ。飲食本業の方々なめてんのか?って話にもなりうるしね。正直やだっておもってるもん、ちょっと。

 

ああ、空から美少女降ってきて、しっかりしなさいよ、バカ!って叱ってくれねえかな笑

 

サイレンス 沈黙 見てきました! ※超オブラートにネタバレ(なし)

彼女と休みが合わないので夜からのデートでしたが、行きたいところでいくというより

割とどこで時間を潰すか、という感じでいる気がして、少し欲求不満です、はい。

もっと爆発的に楽しみたい!

 

とまあこれではタイトル詐欺なのでそれは置いといてと、

数日前夜の池袋サンシャインでマーティンんスコセッシの沈黙を見てきました。

割とお客さんは少なめ、しかも一人で来ているおじさんがほとんどのようで、

サイレンスこんなもん?・・・という感じになりました。

むしろ自分たちの方が少し浮いていたのかもしれません。

 

さて、内容ですが、序盤は

 

カトリックの神父二人が、日本から師匠がよこした最後の手紙で彼が棄教したこと、政府による迫害が凄まじく不況が困難なことなどを知り、それらを自分の目で確かめるべく、カトリック最後の日本へ派遣される神父(作中ではパードレとよばれる)として国を発つというかんじですね。

 

まあ、全体を一言で表すと、まぁ酷いことこの上ないですね、キリスト教徒神父への拷問や信徒となった民衆の処刑、こうした肉体的な痛みもそうですが、それにもまして作中で描かれる主人公の精神的な試練とうものが筆舌に尽くせぬほどの。。。酷いですね、きついとか、苦しいとかよりも、酷いというのがより適した表現だと思います。

 

これは作中で描かれる当時の日本政府とパードレの民族としてもってる感覚の違いがそれだけあるとみてとることもできそうですが、その何が酷いって。。。

 

日本では、全があって初めて個があり、個は全に従属しているといった感覚であるのにたいしてキリスト教的な価値観は罪なんてまさにそうだと思いますが、信仰ということに関しても、神と自分は祈りの中で通じ合うという点では一対一の関係ということでもあり、個がどうあるべきかが、自分の心でしか感じとれない神という存在との関係により規定されるので、考え方として、それは個が先にあってその集合が全という感覚があるのではと思います。(あくまで個人の意見)

 

その違いは自然観にも垣間見れるでしょう、日本人は全能の神ではなく自然の中に神を見出しますし、作中に出てきたセリフで山河は形を変えるという意味の言葉がありました。これは、当時の日本政府のpadreに対してとった行動と重ねてみると深い意味を持つと思います。

 

一連の政府の行動が残虐でありながらも、どこか奇妙にほのぼのとした瞬間が混ざりこんでくるあの映画独特の空気感に、心がかきむしられるような思いを抱きながら、どこかでそれを土着の考えとして無条件で受け入れているようなあの不思議な気持ちは、我々日本人にとって、かなり特殊な体験になると思います。

スマホケース 物に囲まれることの大切さ 空間と思考

スマホケースどこで買ってますか?

 

僕は昨日渋谷のLOFTに行ってきましたが、

 

携帯ショップや電気屋さんや雑貨屋さん等に比べて

 

見た目に高級のある3000円くらいのスマホケースがたくさんありました。

 

僕はやはりアートな空間やいろんな種類の製品があるああいう空間にいくのって

 

なんか大事だなぁ、もっといろんな場所に行かなきゃ、と思いました。

 

物に囲まれることで頭がいろんなものの情報を自然と吸収しようとしていて、

 

欲してんのかな俺。笑 みたいに思いましたし、

 

6階のアートなおもちゃとかに、不登校時代にもし、気軽に足を運べていたら、

 

もっとなにか違ったんじゃないかと、かいてるだけで寂しくなってしまう思いも抱きました。

 

後悔より行動ですね。。。

 

自分の今いる空間に自分がどういう人間かを決められてしまわないように、いろんな場所ごとの自分の変化があることを意思決定やリフレッシュに役立てようと思います。

 

その為にも、大袈裟かもしれませんが

 

もっと世の中を信じよう、出来事全てを楽しもうと思います。

 

スマホケースから始まる壮大なスケールの作文でした。笑

根性なしの筋トレ論

・僕(根性はないかな〜、、、)

タイトルの通りです、今現在僕は、もともと167、5cm53kgのがりがり

だったのですが、ここ2ヶ月ちょいで、56kgのひょろひょろへと変わることができました。

方法的には、あまり昔からご飯が食べれないこと、食べても太らないこと、体調や気分の波が激しくて規則正しい生活や、計画が苦手なこと、加えて飽きっぽいことなどから

スケジュールをきっちり、トレーニングの回数をきっちり、食事内容や量ををかっちり決めてやるのはいやでした。

・続けること

そこでともかく僕は毎日少しでも自分に適した方法を模索しながらやっていました。

むしろ自分の目標や、それに適した方法などは、筋トレをしながら探す方がいいです、ぼくはそうして自分の体を知ることができました。それに、目標意識ももちやすく、トレー二ングが自己との対話の時間のようになる瞬間もあり、リフレッシュにもなります。

・大事なこと

かなりの私事なのですが僕はかつて長期にわたる不登校だったことがあるので、

自分の体に対する目線が普通に健康に過ごして生きた方とは異なるので、

体つきへのコンプレックスが半端なく、(実際はただのチビひょろくん)筋トレをつずけるための、メンタルのコントロールがやはり一番結果を出すために重要だったと思います。

ぼくは今は、考え事をするのが体を追い込む邪魔でしかないので、トレーニング中は、目的意識や方法が固まってきてからは、むしろそうした思考に使うエネルギーも自分が今動かしている筋肉に意識を向けるように、意識を無言にしていく感じでやるようになってきてます。(こうして追い込むと、どこかで自己意識や言葉の呪縛から逃れられる開放感を感じる瞬間に出会います笑)

・一言で結論すると

結果として(※まだ継続中)はとにかくやろうと思える範囲で続ける、というスタンスでいたのがとても良かったと思います。

例えば、やる気が出ないどころか、無目的に筋肉を追い込むことになってしまうと、激しいトレーニングが好きなどMさんでも、何やってんだろう僕私となってしまうと思います。そう、ここからこの記事は人間的な問題へと切り込んでゆくのです、どこまでも羽ばたいてゆけ!

根性なしの筋トレ論よ!(タイトル)(#ださい)(#自分に酔ってる)

 

・・・こういう瞬間は僕はかつて長期の不登校だったので、だいぶ味わってきています、、、こういう流れはだいぶ疲れるので好きではないですが、ここで自分をさらけ出すのは一つの課題であり、本能でキーボードを叩く僕の指さんたちに従うのみです。

まあ、ようするに

・疲れたー筋トレ(仕事、宿題、人生!?)やだーの時に僕はどうするか

という話で締めくくります。

仕事終わりの週間が筋トレです、これは僕にとって自分のコンプレックスと過去に向き合い、自分(の体)に自信をつけるための週間でもあります、と。。。

となると、非常に面倒ななことにやる気ないじゃ、どうしようもなくなるんですよ、鬱か、心の迷子か何かぼっーーーとして無為に過ごすことになるわけですよ、

そこで、ぼくはこう考えるといいかもしれません、どうお思いになられますか?とお伺いしたいことがあるのです、

そう、それこそが、!筋トレ論が人生論に、筋トレやだーが人生やだーに、(あくまで文章の構成上ではあるものの)繋がってくる所以なのです!

 

僕はこう考える。。。

 

なんとなく筋トレ無理なんて言っちゃうときも、そんな自分の体の気だるさと、筋トレ中に筋肉に意識を集中させるときと同じように向き合えばいいじゃん!

 

どうするのかって?なんとなく気力がわかず筋肉をうごかせない?

 

 

でも呼吸はしてるよな!!てことはそう、

 

 

 

瞑想すればいいじゃん!!!!!!!

 

 

 

人生を・・・・乗り越えロォォォオ!!!!!!!ウォオおおおおお!!!!!!

PCを活用しよう! プログラミング 初心者 学習方法 おすすめ レポート

PCを買ったけど結局ネットサーフィンやYoutubeを見るんばかりでもったいないという方、今回僕が今使っているおすすめのプログラミングの教本をご紹介させていただきますので!

ちなみに僕自身がおすすめする方は、教養程度にプログラミングをかじっておこう、くらいの気持ちの方が一番役立てられると思いますし、ちょうどいい高さの目線からの紹介レポートに成ると思います。

はい、では結論から行きますと、Python の教科書 という本がすごく今おすすめです。

pythonはどうやら、去年あたりからグイグイ来ている言語らしくてですね、(プログラミング)言語別の年収ランキングでは一位みたいです、とはいえ、それは機械学習や、データサイエンスといったものに注目が集まっているからで、大学の情報学部を出ている人の就くだいぶ高度な知的労働になる部分かなと思います。

とはいえ、現在の社会でのPythonの立ち位置はともかくですね、あのGoogleなんかもオックスフォードの学生がかつてPythonで作った、という話もあるみたいです。

うんちくはここまでにして、皆さんが求めるであろう、Pythonの情報、それは入門言語として適切かどうか、ではありませんか?非常に重要ですよね?

 

どうやら実はPythonの構文(プログラムの記述の仕方・文法)は可読性が高く、比較的シンプルなので初学者が取り組むには向いているということらしいです。

僕はこれから始めようと思っている方とスキルはたいして変わらなくて、無駄な時間を過ごさないために、いい本を紹介しようという意図ですので、あまり他の言語と比較した上での意見というのは書くことができません。

しかし、Pythonの教科書では様々なギミックを持ったコードが本当に豊富に乗っているので、まさに、教科書としての役割はもとより、プログラミングの楽しさを味わったみたい、教養程度に触っておきたいというかたには穏当におすすめです。

プログラミングの本は数が多い上に、アマゾンのランキングとかもまり参考にならない気がするので、あたりの本を引くまでに、運が必要です、この記事は、お金や時間をショートカットしていただくための記事ですので、内容的なことにはあまり触れませんでしたが、お金かけたくないよ、という、もっと手軽にその場で始めたい方には、Progateやpaizaなどもおすすめですし、今度2月6日から僕個人はTechAcademyのJavaだけの8週間コースを受けるので、お金も時間もかけていいよ、って方は、こちらのレポートも楽しみにしていただけると嬉しいです、では失礼します、また次回。

思考 言葉 意識 病気 無 瞑想 

僕は頭の中で暴れまわる言葉の竜巻から逃げ出したくなったことが何度かある。

誰に学ぶともなく、瞑想に逃げ道となることを期待して、いつから取り組んでもう数年だ、(といってもわずか2年程度だが)

ドストエフスキーの小説のあとがきで昔読んだ気がするよ、意識は病気だって。

意識ってある意味言葉によって構成されているものだと思わないか?

そう考えるとするならば、おれはただ病気を治すために頑張ってきたってことなんだ。

自意識過剰、病気とまではいかなくたって、これも似たようなもんでさ、煩わしく感じたりしないか?

その取り組みが今どういう風になっているのかってのを、その恩恵などたかがしれているが、リアルな言葉で記録しておきたいんだ。

これが必要になる人のことを頭の隅っこで考えることを忘れずにね。

箇条書きでもいいかな?嘘くさくなるよりは・・・自分の為にもならなきゃ意味ないしね。。。整理しながらでいいよな、もちろん?

無理は禁物だ。俺は体んの調子が悪くなりやすい、神経が弱ってる、活力が出てこない、おいおいまだ十代なんだぞ・・・!?これからどうなる!?なぜだれも手を貸そうとしてくれない?友達のふりして俺を笑ってやがるな・・・いやいや、こんなの、こんなのが俺の人生だなんてありえない!!どこか間違っているんだ。。。どこだ?どこなんだ?!さあ、探し出すぞ・・・そうだ目をつぶって考えるんだ・・・やがておれはここからいろんな本をいろんなところから引っ張ってきて読むようになったが、、、目をつぶって考えてちゃ、現実は見えてこないことには気づかずにいたな。

だから引きこもりだったんだ、でもおれは自分の心の中を覗きつずけずにはいられなかった、そこには奇妙な力も働いていた、やはり、家にずっといたことも要因のひとつだろう。

タイトルの話をしたいのだが指が勝手にこの時のことを書いてしまってる、でもこれはきっとなにかかんけいがあ関係があるからなんだ、おれは神経ではなくこころでこのまま作文していくよ。

話は飛ぶんだ、やがて、ポツポツと軽作業のバイトだとかをし始めたり、文字通り街をさまよい歩いたりするだけの日々もあって・・・(このころの記憶は曖昧だ←スッカラカンなだけかもな)

やがて自分の心の探求(のつもり)の読書や物思いに耽ることから、それが生み出す周りとの障壁に苛立つことが辛いと感じるようになっていったのかな。。。自分でもわからないところってあるよ。な?(この口調は一体なんだと自分でも思う、ムカつきますよね?←じゃあ喋り方変えry)

そうして次第にネットで検索して瞑想を見よう見まね(?)でやりはじめたんだ。

最初はおかしな生活でおかしな精神状態になっていたからそりゃ変なイメージばっか浮かぶときもあったさ、、、いや、さすがにまだ筆舌に尽くせぬといった感があるな。。。(自分でも引いてるというか)

続きはまた今度。今回は全体的に痛いな笑

 

自分 嫌い 責める 苦しい 

過去のメールのやり取りを見た。

中学生になったばかりの時に作ったyahooメールのアカウント。

今はどうしているだろうか、彼らは。

友達なんていないと思ってた。

みんな自分を大切にしてくれないと思ってた。

子供の頃からか人を信じないと言い切っていた。

理由は自分でもわからなかった。

いつ死んでもいいと思って生きていた。

それに疑問を持つことさえなかった小3の少年に、

直接訳を訳を聞ける人はもういない。

当然、それは俺が二つ気前21歳になっているのだから当然だ。

こういう文章を書くだけで胸が痛い。

苦しくてたまらない。

 

2014年のメールはとても思いやりに溢れているように思える文面ばかりだった。

どうしていまなんだ?俺は何年孤独に過ごしたんだ?

今も寂しくてたまらないのは何故だ?

彼女だっているのに、心に染み付いているのか?どこかで酔っているのか?

そう思い込もうとしているのか?

 

・・・あのころ、なんて返せばよかった?なんていえばよかった?なにをすればよかった?したいことも不満もたくさんあったはずなのに何もできなかったのは何故だ!

 

苦しい、自分を憎みそうになる。

でも、それじゃダメなんだ、こんな気持ちの生み出す一挙一動足にも、もう人を巻き込みたくない。

 

それに、磨耗するだけだ、もうできることなら様々な恐れに抗うような考え方なんかに操られずに、肩をいからせて、何かにビクビクして生きるなんて、やめよう。

 

怖がらずに、海に浮かぶみたいに、そして流れに身を任すみたいに、まず体の力を抜いていくんだ、こわばった顔の筋肉も同じように。

それだけでいいんだ、うまくいくんだ。

流れに沿う、川の葉船で十分だ。