悲しすぎて僕は笑った。
今日あるめちゃくちゃ面白いブログを読んだ。
その面白さの価値は書かれている文章そのものではなく、
読後僕に訪れた心境の新しさの中に見つけることができた。
その読後心の内に自然と湧き出た飾り気ない感想はというと、
「悲しすぎて笑った・・・悲しいってこんなに面白いことなんだ。」
という外見上矛盾するようにも見えるものの、僕自身にとって斬新な気持ちだった。
ではなぜ僕はその時「悲しいってこんなに面白いんだ」と思ったのだろう。
おそらくこれには個人の経験に根差すなんらかの明確な理由があるのだろう。
まず、一番惹かれた部分をここに貼り付けて読んでくださる方にもわかるようにしよう。
以下
《僕は、トロフィーワイフに、なれなかった》僕はもう中年で、これ以上上がり目はない。この悲しみは僕の生が終わるまで雪のように降り積もっていく。毎年観測史上最高の降雪量を更新しながら。
以上
私はあなたのトロフィーワイフじゃない。 - Everything you've ever Dreamed より。
僕自身は中年というには若すぎて、まだ20代前半だ。
筆者とどれくらいの共通点があるのかもわからない。
しかしこの特に「毎年観測史上最高の降雪量を更新しながら。」の部分を読んだとき、「実家の家族から見た自分はこう」という、今までずっと吐き出せないままでいた自己否定的な気持ちを偶然にも「自分の外側」で見つけてしまい、「一人で抱えることから感じる孤独」が和らいだように錯覚してしまった。
ただ一言で昨今安っぽくなった「共感」という言葉にしてしまえるものではなく、
(ボタン一つで、ましてや親指マークの数だけで表現できるものでもない!!
↑ 皆さんもそう思ってるでしょ!!!???)
なんだか、こういう記事に出会えたことに、嬉しく思っている部分がある。
しかも僕はその自分の重くるしい部分の気持ちを見出しながら、笑うことさえできたのだ。
「悲しすぎて笑った・・・悲しいってこんなに面白いことなんだ。」
この気持ちは僕にとって多少なりともそういうことなんだ!
こんな僕を一瞬でも楽な気持ちにさせてくれるのは、やっぱり言葉の力。