なんとなくブログ

僕の生活や思いをwhatwhywherewhohowの4w1hを意識しながら文字と絵で綴ります。

明治神宮に初詣に行ったけど死ぬほど混んでた話。小説風。

僕が10月に仕事をやめて1ヶ月、そして11月後半にはじめたバイトをすぐにやめてから2017年はやがて急激に寒さを増しながら終わっていった。

2018年が始まった。

2017年の4月から同棲している彼女と向こうの提案で明治神宮に初詣に行くことになった。

日雇いのバイトをそろそろ探さなきゃ餓死するという懸念以外特に予定のない僕に断る理由はなかった。

季節のイベントくらいはみんな大事にしたいものだろう。季節を感じることは自然を感じることで、この地球に生きていることを肌で感じられることで、とにかくそれは誰にとっても重要なことのように思う。

彼女は着物を着たがっていた。渋谷で待ち合わせと言われたからどこかの店で着替えてくるのかと思ったら、どうやらその店まで一緒に行ってから明治神宮に向かうらしい。

通りで待ち合わせが渋谷な訳だ。と思った。

「絵俺も行くの?」「当たり前でしょ?」「そうなんだ。」

僕は年の瀬にあわてて見つけてきた日雇いバイトを12月31日の夜から元旦の朝までの時間に打ち込んでいたので、着物レンタルのお店で彼女のために一時間待つのは苦ではなかった。むしろその間待合用の椅子にうずくまって座り、暖房の暖かさに助けられながらとれるだけ睡眠をとっていた。

途中お店の人に彼女が見て欲しいと言っている。と声をかけられた気がしたが顔を一度申し訳程度にあげたのちすぐに何も考えずに寝てしまった。目の届く範囲に彼女はおらず、店員も何も言わなかった。

「寝ていてよかったのだ。」と判断した。

時刻が13時ごろになると彼女が着替えと化粧を終えたようだった。感想は見てすぐには湧いてこなかった。

「いいじゃん」「えーそう?」「うん、じゃあ、行こうか」

トイレを借りて店を出た。

外国人が多い宮益坂。僕が子供だった頃もこんなに外国人は多かっただろうか。

地元で引きこもっていた時期があるので急に増えたのではないかと疑う。

しかし実際の所は知らない。特に知ろうとも思わない。ただ知らぬ間に起こっていたことの中には知っておくべきこともあるのではないかと、自分の記憶の空白に少し不安を覚える。

駅に向かって二人で歩きながら宮益坂を下りていく。

何気なく横を向いた。なんども横を向いた。彼女の着物姿の新鮮さに惹きつけられていた。

気づくととても渋いデザインで、彼女の普段の志向とは真逆だった。てっきり着物でもガーリーなものになるように選ぶだろうと思っていた。

彼女にそう言うと「だってもういい歳だし」とか言いてたっけ。

今思い返すと、彼女を照らす自然光がやけにノスタルジックに思い出を彩っている。

記憶というのは不思議なものだ。知らない内になんらかの加工が施されている。

なんてことはない、捏造された情報が溢れることの危険はきっと昔からこのように存在していたのだ。

僕らがJR山手線で原宿に到着すると、出口は参拝客様に明治神宮に直結しているところが用意されていた。

※いつもあるのかどうかは知らない。いつもは見かけない気がした。使う出口が違うからだろうか。

僕らはそのまま明治神宮のあの大きな鳥居を背に写真を撮ってから境内(けいだい)へ歩き出した。

本殿に近づくにつれ写真の量が増えていく。すれ違う白人の観光客は美形が多かった。

途中生い茂る木々の隙間から溢れる木漏れ日を写真に収めたりした。

そうして本殿に近づいていったのだが・・・ー。

本殿に向かう最後の直線形の道の前には広く長い道がある。ここから最後の直線に行くのだが、その曲がり角には巨大なモニターが設置されており、CMが流れていた。時折丁寧に参拝の作法を説明する映像も挟まれる。

我々カップルはこの巨大モニターを見る気など微塵もなかった。

ただ初詣に来ただけだった。しかし現実にそのモニターを小一時間眺め続けなければならなかった。

我々以外にもその道いっぱいに多くの人々がすし詰めのようになった状態で順番を待たなければならなかった。

まるで広告宣伝トラップに引っかかったような気分だった。

僕は2016年の夏に一緒に行った隅田川の花火大会に行った時のことを思い出した。

あれは死人が出るんじゃないかと頭によぎるほどの寿司詰め状態だった。

僕らはあの花火大会には二度と行きたくない点で意見が一致していた。

僕は少し反省した。なぜあの時に食らったすし詰めの教訓を生かして時間をずらせなかったのだろう。

しかし元はと言えば12月31日から元旦までの年越しの時間に日雇いバイトを入れるほど余裕のない生活をしている自分が悪い。

いや、それは今は関係ない、楽しまなきゃ損だ。

そうこう考えているうちに参拝の順番は回ってきた。

適当に小銭を財布から出して投げた。何を願ったかは忘れた。

5円玉がちょうど彼女の分もあったので渡したけど、なぜか一枚づつしか投げない彼女は3回目でようやく5円玉を投げた。

5円=ご縁でなんかこういう時五円玉は縁起が良いのでは。という思考は彼女に全くなかったらしく、僕は何故かそれを説明してだから投げるのは5円が良いのではと説明したりした。

今振り返るとあまり地震を感じない考えだけどまあそれは別にこの際大したことではない。

参拝後は況内を出て、屋台が立ち並ぶ表参道方面を歩いた。

食欲をそそるものばかりだったが金欠の僕は手を出せなかった。

それにしても、僕の好物を知り尽くしているかのような屋台のメニューに、その空間にいるだけで幸せな気分だった。歩いても歩いても隣で好物が売られてなんとなくいい匂いがしてくる。それは何故かとても心地よかった。

 

以上