自分 嫌い 責める 苦しい
過去のメールのやり取りを見た。
中学生になったばかりの時に作ったyahooメールのアカウント。
今はどうしているだろうか、彼らは。
友達なんていないと思ってた。
みんな自分を大切にしてくれないと思ってた。
子供の頃からか人を信じないと言い切っていた。
理由は自分でもわからなかった。
いつ死んでもいいと思って生きていた。
それに疑問を持つことさえなかった小3の少年に、
直接訳を訳を聞ける人はもういない。
当然、それは俺が二つ気前21歳になっているのだから当然だ。
こういう文章を書くだけで胸が痛い。
苦しくてたまらない。
2014年のメールはとても思いやりに溢れているように思える文面ばかりだった。
どうしていまなんだ?俺は何年孤独に過ごしたんだ?
今も寂しくてたまらないのは何故だ?
彼女だっているのに、心に染み付いているのか?どこかで酔っているのか?
そう思い込もうとしているのか?
・・・あのころ、なんて返せばよかった?なんていえばよかった?なにをすればよかった?したいことも不満もたくさんあったはずなのに何もできなかったのは何故だ!
苦しい、自分を憎みそうになる。
でも、それじゃダメなんだ、こんな気持ちの生み出す一挙一動足にも、もう人を巻き込みたくない。
それに、磨耗するだけだ、もうできることなら様々な恐れに抗うような考え方なんかに操られずに、肩をいからせて、何かにビクビクして生きるなんて、やめよう。
怖がらずに、海に浮かぶみたいに、そして流れに身を任すみたいに、まず体の力を抜いていくんだ、こわばった顔の筋肉も同じように。
それだけでいいんだ、うまくいくんだ。
流れに沿う、川の葉船で十分だ。