なんとなくブログ

僕の生活や思いをwhatwhywherewhohowの4w1hを意識しながら文字と絵で綴ります。

幾つかの教科の勉強の仕方

幾つかの教科を勉強している。

 

内容は高校程度だ。

 

自分で参考書を本屋やネットで買う。

 

これが結構大変な作業で、ネットでの評判と実際に本屋で手に取った時

 

わかりやすいなと思えるかどうかの判断をしてから決める。

 

ネットの評判だけでもとりあえずそれにかんする参考書をまったくもってない教科の本

 

なら買っていたと思うけど。あるいは別の学習レベルのものとか。

 

勉強は結果的には気が向いたときにするようになっている。

 

やるときは最高で9時間やったこともあるがこれは時間をとった日にそれまでやりたい

 

のにやれてなかったって積もった気持ちが爆発して眠れずにちょっと眠たくなりながら

 

雑誌みたいにパラパラ参考書めくってたような時間も含めてるから、アバウトな計算だ。

 

で、今回はちょっと自分ありにやる気が出ない時の勉強方法を書いてみたいと思っています。

 

その勉強方法っていうのは、例えば僕は今数学、英語、物理をやっているんだけど、

 

一回くらい小耳に挟んだことがあると思うけど、脳みそは単調な刺激に飽きやすいっていますよね。

 

あと僕個人が、方法的にも一つのやり方でやり続けようとするのは飽きちゃうタイプっ

 

ていうの前提で、この二つを踏まえてやってみると勉強が続く方法が、

 

・・・、まあ実際方法ってわざわざいうほど特別なことじゃないんだけど、

 

一つの教科(その中でも分野ごと)ごとの時間を減らすこと、そして

 

合間合間にネットいじったり本読んだりを小刻みに挟むこと、

 

(集中力が落ちてくるタイミングはいつも同じ時間同じタイミングに7時間くらいやっ

 

てるとつかめてくるよね、その頃を見計らって挟もう)

 

・・・って感じにやっていくっていうやり方。

 

なんかブログだから発信者側になろうって意識がどこかにあるせいでなんか上からっぽ

 

くなってるけど実際ただの日記だなー。

 

まあそれはどうでもいいんだけど例えば英語なんかもっともこの方法が使いやすいよね。

 

ていうかみんな自然とせざるを得ないだろうけど、耳を使ったり口を使ったりっていう

 

のは唯一英語という科目は必然的にそうするだろうし。

 

文法、単語、長文読解、長文読み込み、リスニングって脳の使い方がそれぞれ少しづつ違うし。

 

もっと実感的な話でいうと、一番このやり方でいいなって思うのはその日その日で面白い!って感じるポイントが違くて、それを見つけるのが楽しいっていうところかな。

 

それがわかってると、集中力は自然に面白い!っていう感情がトリガーだってわかって

 

るから、多少落ちてても全然普通に勉強できるし、モチベーション云々の話は片付くと思う・・・割とね笑 いろんな人いるから知らんけど笑

 

でも本当に楽しめるやり方だよ!😁😁

 

ていうかみんなそうしてると思ってるけどね、俺は笑

 

あ、でももう一個あるなぁ、最近飽きというか、エンジンなんとなくかからない時、プ

 

ラス焦り😰が出たときにやるといい方法を編み出したんだけど、焦りって抑えると余計

 

に、逆に重なってっちゃうから、もうそれも勢いの一つだから、逆に言えば、俺なんか

 

例えばその焦りっていうのが、もっと先の問題に早く行きたいなとか、早く進みたい。

 

復習と同時に進めてたら・・・馬鹿な考えなんだけど、終わるまでの時間復習する分

 

含めて考えると果てしなく感じて、余計に先が見たい、新鮮な問題に取り組みたいって

 

なるから、そういうときはもう、参考書の範囲まるまる一冊とかの目次とか順序、流れ

 

を頭に入れるイメージでパラパラめくって思い出したり引っかかっりを感じる怪しいと

 

ころ(覚えてるかどうか)で考えてみたりしながら、先の方みるようにしてる。

 

これやるといつの間にか、パラパラ〜っていろんな今までやってきたところとかこれか

 

らやるところとか一度に見るから、みててふ〜んってところはそのままだけど、わかっ

 

てないところとかで自然と引っかかりを感じて集中力とか出てくるから。

 

焦りも気づいたらなくなってるしね、集中してるから。

 

だから本当に良い方法なんだよなあ〜〜。

 

最近、本当良い方法で勉強してると思う。

 

そういう、自然と脳が喜びを感じるようなやりかたを見つけられると勉強してる時間が

 

充実するから。楽しいのが一番、勉強はかっこつけでやっても確実に無意味だからね。

 

海中都市のように青く染められた町の景色。

僕はなんだかこの先ずっと自分がブログを書き続けていくような気がする。

 

ブログというのは僕であって僕でないものが

 

全てをさらけ出すことによって自分の人生に向き合う術だという気がするんだ。

 

何を書いていても一歩引いたところからそれを見て、自分の間抜けさ、悲しさ、怒りさ

 

えも何か一つの、自分とは切り離されたものとして見て面白がれる気がするんだ。

 

ひょっとして向いているのかもしれない。

 

話は変わるけど、今から書くのは、悲しかったこと、そして何かが胸に引っかかっていることだ・・・。

 

きっと僕がブログに何かを曝け出そうとしているのは、なにか胸につっかえたままの、

 

自分一人の中には収まり切らないものがあるからだと思うんだ。

 

今は何かに完全に集中できている時に感じられる心の穏やかさがあって、とても気分が良い・・・。

 

母はある日、僕に言ったんだ・・・。あれ?笑  何を書こうとしていたんだっけ?

 

少し遠回りして他のことを書いていたせいで忘れてしまったよ笑

 

じゃあ、もう一つ、頭に思い浮かべていた、僕の過去のある地点について書こうと思う。

 

ただ、今頭の中に浮かんでいるのは一枚の絵のような情景なんだ。

 

それをどうやって表すか考えることはとてもむづかしいな・・・。

 

よし、印象的な点を一つづつ述べていくことにしよう。

 

まず、空は少し暗くて、周りはその暗さにちょうど釣り合った静けさに包まれている。

 

明かりはごくわずかで、その場所の近くの木が生い茂った通り道と、そこから出てから

 

も続く蛍光灯の、弱々しく孤立した、何も照らしやしない光だ。

 

僕はそんな道を、なんの目的もなく歩いている、歩くこと自体が目的であるかのように。

 

あたりを包む暗さは世界を海中都市のように青く染めている。

 

僕は、ただどこまでも続いていく長い道を歩く途中、道沿いにある高校の前を通りかかった。

 

僕はぼんやりと学校を見つめた。不思議と目が離せないような気持ちになっていた。

 

しかし何かに終われるように歩みを止めることもない。

 

僕はその時高校に通う年齢でありながら、社会のどのような組織にも属さずに過ごしていたと思う。

 

きっとあの学校の佇まいにそうした自身にそぐわない憧憬の眼差しで見ていたのだろう。

 

僕はあの頃、自分が学校に通いたいのだということに気づくことさえできなくなっていた。

 

僕は何かを眺めていた。なぜか目が惹きつけられていた。それなのにただ見るだけだった。

 

まるで憧れの女の子でもいたみたいに、心奪われながらに無自覚だった。

 

 なぜか今胸が締め付けられるような気持ちだ。ああ、理由なんて知りたくないな。

 

ふと思い起こすだけで、美しささえ讃えるその光景。

 

ありふれているはずのその情景は

 

いつの間にか過ぎ去って遠ざかっては戻らない日常

 

人はそれを過去というのだろう。

 

だからすべて今抱いてる思いだってただの過去なんだ。

 

ただの影なんだ。っていう、俺の中のアジカン的な何かが書かせたやつ。

 

 

テーマがないなら代わりにお菓子を食べればいいのよ

さあ今日もなにかしら書いていこうかと思うんですけど、

 

ギアがちゃんと入るまでというか内容が決まるまではひたすら

 

指が動くがままに任せて置きたいと思います。なにかこのブログはこういう趣旨で

 

こういう記事を〜・・・みたいな明確なものはなく、ただ人に見られることを意識しつ

 

つ文章を作るという行為自体に何か今の自分を落ち着かせたり、活気付けたりする生理

 

的な作用があるのだと思います。従って、文章も細かい部分で統制がとれてないいわゆ

 

る駄文かもしれませんがそこはどうかご容赦ください。

 

不思議とこうして記事を書来始めてみると、誰かに答え合わせしてもらいたい気持ちや

 

単なる吐き出したいだけの気持ちなど、なにかしら抱えているものが出てくるように

 

思っているのですが、なかなかすらすらとは出てこないようです。

 

なんなら今この文章を打っている今の気分というのは、落語家口調の変わり者のあんち

 

ゃんというイメージが湧いています。

 

?と思う人もいるかもしれませんが僕には幼少の頃から、なんだか僕が別の誰かになっ

 

たような気分でいることがしばしばあるのです。

 

少なからず心当たりがある方もいらっしゃるでしょうし、こうしたことは僕の中では

 

誰しも心当たりがあると思っています。なんでしょう、ただ僕の場合はもしかすると、

 

もともと自我が弱いというか頭が弱いというか、そういう「誰かの振り」に入り込みす

 

ぎてしまうというか、「自分自身との境界線」がよく曖昧になってしまうことがあります。

 

これは単に主観的な観測にすぎないので、具体的な比較対象もなく、入り込みすぎると

 

か曖昧になってしまうことがよくあるとはいっても、それは他の人と客観的に比べられ

 

るものではないでしょう。従ってこうした自意識が何に基づいているのかということが

 

よりこの主張を明確にするのだろうけど、こうしたいわゆる弁証法的なアイデンティテ

 

ィの探索といえるような恣意的な精神的営為は、はっきりいって、僕のような人間的に

 

もアンバランスな低学歴にはらしくない、俄然イタイ人に近づいていくだけの話だ。

 

2行上の文章で使っている語句だってだいぶ気取っている。😁

 

そうこれはつまり、よろしくない文章を書いてしまっているな。どうしようこれじゃ

 

誰も読んでくれないじゃないか!😰

 

テーマ!強制的にでも意義あるテーマを見つけなければ!・・・・・・・・・。

昨日は恥ずかしい記事を書いてしまった。

あれじゃ恥を晒すだけなのだろうか。

めちゃくちゃ胸がムカムカしていて、少し調子が変だったと思う。彼女とも険悪な感じだった。




ところで昨日見た夢はなんだかとても胸糞悪かった。寝る前の気分がもろに反映されていたんだろう。


まあ、この話はやめておこう。
前向きに考えなくちゃ。

今日もバイトの面接を組むための電話が来てたと思うから折り返して日程を決めて、


髪を切りに行くか勉強をしよう。あまり細かく物事を決めなくても良いから考え過ぎるよりは何かに取り組む方が大切だ。


なんでも少しづつの積み重ねが大事なんだ、それは難しいことなんだけど。


今日もやりきったという気持ちでいたいんだ。


がんばろう。読んでくれた人も頑張ってくれ!


悩めば悩むほど人生は複雑になるものだ!



うちには兄弟の中に一人邪魔な子がいる。

こんなのかきたくないんだけどなあぁ。。。。

 

書かなきゃやってられねんだよ!

 

 

ってアル中みてえなことかいてんなぁ!オラァッ!!うわあああ!!!うぼぁああああ!!!叫びてえよ!叫びてえ!隣の人のこととか一切気にせずに!!

 

 

悪魔でも乗り移ってんのかってくらい呪われた気分だよ!もちろんこんな気分だからといって、今日に限って何か特別やなことがあったわけでもねえよ!むしろ平穏すぎる1日だったわ!

 

 

は?なにそれってか?ほんとうそうだよ!行かれてんだよ俺は!どうせ!

 

 

はいはいどうせいかれてますぅぅぅぅぅうぅ。悪魔もドン引きで取り憑いてこねええだろうよぉぉおおおお!

 

 

人生がうまくいかねえことを親のせいにしてるゴミみたいなインキャだよ!

 

 

だから何?何か悪いかよ?

 

 

なんで人並みの優しさや気遣いに触れられねえんだよ!

 

 

愛されてる実感一度くらいくれよ!!!

 

 

じゃなきゃしねええええええええ!

 

 

(さすがに書いてて笑いそうになってくる・・・)

 

 

悪意に満ち満ちたこのタイトルを見ろよ世のクソども!

 

 

これが俺が親にこう思われてるんだろうなとおもって耐えがたくなったことだよ!

 

 

お目汚されやがれ!すみません!こんなものおみせしてしまってええええ!

 

 

わかったかぼけええええええええええええええ

 

 

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

 

 

 

 

・・・はぁ。これ何芸人っていうの?(ため息)

心の空白を埋める言葉達。

なんか俺思うんだけど将来のこととかネットみてえられる情報だけで考えても

 

根本的に自分の進みたい道がどれかわかってないってことまではどうにもならないと思うんだよね。

 

まあ、おれがそういう人になってしまっているんだけど。

 

 

こういう時期ってどうしたらいいんだろうね。もう今年で22歳何だけどな。

 

 

人生は10代で大体決まるっていうけど、その時期に何したたかといえばもう、

 

 

思い出したくもないような日々だったよ。何にも熱中できずに、学校にも行かずに、

 

 

家族からは都合のいいように悪者・空気扱い。自分自身そういう風に扱われたら

 

 

悩んだ上で全部どうでもよくなっちゃうタイプ。ってこんなこと書きたいわけでもないはずなのに、今この瞬間だって、どうしたらいいのかよくわからない。

 

 

こういう時、もし、今があの時だったら、こうするかなとか過去に遡っって考えてしまうのは何故なんだろう。過去になんのヒントがあるっていうんだろう。

 

 

どうせ何にもないってって思ってたはずなのに。結局俺は。

 

 

ああ、真面目な人だったらやっぱり少しずつでも勉強をし始めて見たりするのかな。

 

 

いけてる人はこんなの書いてないで、かっこわるい。なんか他のことしなきゃって思うのかな。

 

 

そんな風にいつの間にか自分じゃない人たち奈良同づるか想像し始めていたりして。

 

 

そうしてなんだか、今はそれらの間をとって、一番無難な選択肢を見出し始める。

 

 

俺にとっては勉強なんだろうか、それが何になるかなんてわからないけど、もしかしたら、対して意味なんてないのかもしれないけど。

 

 

でもなんか、やってみたいな。

 

 

無気力な俺も、真面目なあの人も、いけてるあの子も、英語ってなんかみんな少しは取り組んでいるのかも。

 

 

英語の勉強でもしようかな。専門をでたら将来、国立大学に編入したいんだ。

 

 

もちろん専門学校から行くのは簡単じゃない。むしろ、そんなの普通はない。

 

 

自分に自信があるわけじゃないけど、そういうときにも英語力は役立つということだ。

 

 

うーん、なんだか感会えるのが楽しくなってきたような気がする。

 

 

本当は今日はもうブログを更新する気なんてなかったし、こんなイタイところを晒したくなんてなかったのに。

 

 

なんだろう、この感じ。自分でも自分の気持ちがよくわからなくなってくるこのフワフワした気持ち。

 

 

でもなんだか間抜けってわけでもなさそうで、心が軽くなったみたいだ。

 

 

どこかには、同じような瞬間を体験する人もいるんだろうな。

 

 

将来がどうなるかなんて、どうだっていい。もう怖くない。俺はある程度の事はやれるだろう今度こそは。・・・っw何が今度こそなのかもわからないけどw

 

 

このブログだって、見る人をどこかホッとさせたり、楽にしてあげられたり、役立つ情報を見つけられるような場所にしていけるはずだ。

 

 

だって書いてる俺が今ホッとしてるんだから、きっとそうだろう。

 

 

よーし、気分が上がったら頑張らなくては、気分が下がったら下手なことはせず踏ん張るだけでいいけど!

 

 

頑張ろうみんな!ちゃんとした成長記録にはしてみせるぞ!どれくらいかかっても!

 

 

 

モヤモヤする。

どうしたらいいのかわからない。

 

バイトをして春までお金を稼ぐことに集中して、

 

春になったら、夜間の専門学校に入って、

 

昼は飲食店とかでバイトを続けてお金を貯める。

 

夏休みに入ったら宅建勉強して、

 

秋なったら・・・貯金して、

 

2年生になってもひたすらバイトしながら真面目に授業受けて、

 

コミカレ行くお金捻出して、2級建築士対策を万全にして、

 

2年生の夏はもしお金がたまってたらヨローッパの建築を見に行こう。

 

そんで卒業したら春に就職しつつ、その年の2級建築士の試験に合格する。

 

あーなんか、考えすぎなのかなあ、何が面白いんだろうっていうとあれだけど、

 

いろいろなモヤモヤがはれない。

 

なにがモヤモヤするのか考えれば考えるほど泥沼にはまるだけだ。

 

今は決めた通りにやるしかない・・・。

 

堅実に歩んでいかなきゃ・・・。

 

気を抜いたらこれすらこなすことはできはしないんだ。

 

そうなったらもう、俺の人生後がない、骨を拾ってくれる人なんて持ってのほか。

 

いるはずがないんだから。

 

・・・くそ、いまさら何を後悔したって遅いのに。

 

でももうちょっとなにか人生を立て直すきっかけがどこかにあったっていいよなあ。

 

・・・こんなこと考えてたらダメだ、これだから人に尊敬されないんだ。

 

自分で責任を持たなきゃ。そうだ、覚悟さえ決めれば・・・遊びたい気持ちは諦めて、

 

その代わりに社会に認められる人間になるために学生らしい努力をするんだ!

 

よし、ブログに自分の気持ちを全部包み隠さず書いたら元気が湧いてきたぞ!頑張る!

 

かなり痛いって?うるせーよこちとら必死なんだよ消えろカス!!!😊